しろくまのまわり道

病気との暮らし。子宮頸がんワクチン副反応、身体表現性障害。

大学受験の合理的配慮~手帳が無くても特別配慮は受けられる!~

こんにちは。

もう前回の記事からいつぶりでしょうね…。

会社員になってフリーランスの仕事を畳んだりと暮らしに変化があったので、落ち着いて文章を書くことがなかなかできませんでした。

でもなんといっても、自分の病気のことを書くのが結構難しいというのが、遅筆の理由です笑

私の病気の症状は年を重ねるごとに変わってくるし、病気になった高校生はどんどん遠ざかるし、こりゃ難しい!

どんどんどんどんブログから遠ざかっていったわけですが、、、コロナ禍でおうち時間が増えていく、、、そして今話題の『2020年6月30日に またここで会おう』を読んで、、、

 

私ができること、何かやらなくちゃ!!

 

ということで、今回は6年前に経験した【大学受験の特別配慮】についてまとめます。

手帳が無くても、いつも(恒常的に)症状が出てなくても大丈夫です。

心や体に不安があって、大学受験受けられるかな…と心配な方、ぜひ参考にしていただけると嬉しいです。

※あくまで6年前の個人的な経験です。詳しいことは各大学などの情報をご確認ください。

 

 

前提|私の症状

まず、高校3年生18歳のときの私の主な症状をお話しします。

①自分の意志に反して、手足・顔・首などが震えたり動いたりする

②体(手足)が硬直する→細かい書く作業ができない

③体が脱力する→歩いたり、持ったりできない

④強い倦怠感

 

これらの症状は常に出ているわけではなく、ランダムなタイミングで発作的に出ます。

予兆はなんとなく感じられるときもあるし、突然発作が起こってしまうときもあります。

 ★そして、当時は障害者手帳を取得していませんでした。

0|受験勉強

 ここは、別の記事でじっくりまとめと思いますので、さらっと!

移動に向いてなかったので、ほとんど家で勉強してました!

東〇ハイスクールの映像授業の受講を家で完結できるよう認めてもらい(基本的には通塾がすすめられます)、大好きな英語だけ週に1回別の塾に通っていました。

あとは参考書や問題集でカバーしていました。

参考書を見るのが好きだったのと、インドア派だったことで何とかなりました。

ただ、最後の方は参考書もめくれず、ほぼ寝たきりだったので英語のニュースを聞くことしかできず、この時ばかりはちょっぴり焦りました。

 

1|特別配慮の申請

受験の願書を出すときに特別配慮の申請をします。

そのあと面接や配慮内容の打ち合わせをした受験先がほとんどだったと記憶しています。
試験会場の担当者の方と、自分の病気がどんなものなのか・病院の先生はどういう見立てをしているのか・困りごとは何か・必要な配慮は何か…ということを打ち合わせます。

受験先によっては、症状を聞いたうえで一度協議して私の症状にマッチする配慮を考えてくださったところもありました。

事前に私からは移動の配慮マークシートの配慮をお願いしました。

私は発作が出ると手が動かしづらく、マークシートを塗ることができなかったので、しっかり塗らなくてもいいように準備してもらいました。(具体的な配慮は受験先によって違うので、後ほどご紹介します。)

移動に関しては、大学構内に受験生以外が入れない場合、両親が介助するわけにもいかず、歩けなくなったときは補助してもらうようお願いしました。

マークシートと鉛筆、消しゴム

 

2|会場までの移動

受験の1か月前くらいからは、ほとんど体が言うことを聞いてくれず、自力で受験会場までたどり着くことは不可能でした。

ですので、受験校をなるべく少なく抑えて、両親にタクシーや車で送り迎えをしてもらっていました。(この時かかったお金のことを考えると、本当に悔しいし申し訳ない思いです…)

受験開始時間に遅れるといけないので、朝6時くらいには家を出ていたと思います。そして、受験会場の入り口まで母が介助してくれて、受験が終わったらまた迎えにきて一緒に帰る。

約1か月その生活を続けてくれた母は本当に大変だったと思います。感謝しています。

私自身は、不安でパニックにならないようにルーティーンを守ることに精一杯でした。

このタイミングでこの音楽を聴く、会場に入ったらトイレの場所をまず確認する、休憩中に食べるものは毎回同じ(ラ〇チパックさん、ありがとう!笑)、試験開始何分前にトイレに行く…

この時は体の症状が辛すぎて、あまり心の方に目が向かなかったのですが、今こうして書き出すと結構心もキてたな~と思います。

まあ当時はこれが普通だったので、”困りごと”ではありませんでしたけど。

 

3|いざ、試験を受ける!

受験先ごとに書いていきますね。

センター試験

センター試験というものは今後なくなっていきますが…

移動が難しかったので、あまり多くの受験校を受けると消耗してしまうため、併願校受験はセンター利用を大いに使いました。

移動について

受験校舎のすぐ近くまで母が入ることができたので、移動の合理的配慮はありません

会場について

1人部屋でした!!私1人につき試験監督2人だったので、めちゃくちゃ緊張しましたし、気まずかったです笑。

センター試験は学校ごとに受けるので学校行事的な雰囲気がありますが、そういう思い出は作れませんでした。トホホ…

マークシートについて

1問につき、タテ3cm×ヨコ4cmくらいの記入欄が設けられていて、そこにチェックマークを書けばOKという形でした。

ですので、通常マークシートは1~2枚ですが、1問の記入欄が大きい分、10枚くらいだったような。

***

【私立大学G】

事前にとても丁寧に面接をして配慮を考えてくださいました。

「受験当日、発作が出ると手を動かしづらいけれど、発作が全く出ないこともある。発作が急に来ることあるので予測できない」と伝えると、

「どっちになってもいいように準備しておきます!」と言ってくださり、

  • 発作が出た時:PC打ち込みで完結する問題(漢字の書き取りを他の問題にする)
  • 発作が出なかった時:普通に受けてもいいよ~

というまさにオーダーメイドな配慮!!

受験前から時間と労力を割いてくださったおかげで当日安心して臨めました。

移動について

受験会場に着くと、合理的配慮が必要な一人の受験生につき一人のサポートスタッフさんがついてくださいました。その大学の大学院生のお姉さんでした。

偶然高校の卒業生だと知って、嬉しくて緊張がほぐれたのを覚えています。

会場について

1人部屋でした。センター試験で経験していたので、前よりは緊張しませんでした。

マークシートについて

最初に書いた通り、【PC持ち込み可+PC用問題準備】という対応でした。

せっかく用意してくださったのですが、このときは体調がよく、通常の問題を通常のマークシートを使って解きました。

 ***

【私立大学W】

第一志望で、複数の学部を受けました。体調は最高潮に悪かったです。

移動について

リサーチ不足だったのですが、教室近くまで母に介助してもらえると思い込んでいて配慮をお願いしませんでした。

(記憶がここだけ抜けている…打ち合わせについても思い出せない…)

会場の入り口までしか母は入れず、スタッフの学生さんにも「ここまでです!」と言われてしまったので、そこからは一人で歩きました。歩ける程度の足の状態でよかったです。

会場について

別室受験ではありましたが、特別配慮が必要な受験生何人かが集められて、小教室で受験するという形でした。教室には私のほかに2人の受験生がいました。

車椅子の方や(おそらく)聴覚障害がある方が一緒だったと記憶しています。

受験時間の終了は、口頭アナウンスと紙でのお知らせでした。

色んな合理的配慮が集まっている空間をこの時初めて体験しました。

インクルーシブだなあ。

マークシートについて

通常のマークシートにチェックマークを記入すればOKという配慮でした。

何とかそれでも大丈夫だったのですが、硬直の発作が強く出ていたので、豆粒大の小さな記入欄に書き込むのはそれなりに大変でした。

***

 

4|まとめ:配慮の申請でしっかりと伝えるのがポイント!

こうして思い出すと、本当にいい経験だったなあと思います。

この経験を通して分かったのは、

  • きちんと説明すれば、合理的配慮をしてもらえる!(こともある)
  • 自分はこの体が普通になってるけど、説明しないと伝わらない!
  • 説明することがスタート地点!

ということでした。

もちろん、説明しても伝わらないことたくさんあります。

高校時代も大学時代も社会人になってからも、理解してもらえなかったり、全然配慮してもらえなかったりしたこともあります。

でも、10じゃなくても0より1のほうがいいかなと思います。

だから丁寧に説明することをこれからも続けていきたいです。

 

私はセンター試験+私立大学しか受けていないですし、私立文系ということで限定的な体験にはなりますが、困りごとがあっても、そしてそれを公的に証明する障害者手帳がなくても大学受験では配慮があるということを知るきっかけになればと思います。

そして、少しでも安心して大学受験に臨める人が増えると嬉しいです。

 

★子宮頸がんワクチン副反応・身体表現性障害・聴覚過敏・感覚過敏について、症状や暮らしに関するご質問いつでもお答えします!

お気軽にコメントください!

 

 

 

 

「普通」への憧れ~映画『イミテーション・ゲーム』に思うこと~

こんばんは!

酔えない、痩せられない、眠れないの三重苦でお悩みのタダノマシュウだよ!

 

今回は映画『イミテーション・ゲーム』についてです。

壮大なネタバレをしているので、ご注意を!

 

イミテーション・ゲーム』ってどんな映画?

舞台は第2次世界大戦時のイギリスヒトラー率いるドイツと交戦真っ只中でした。

そこに登場する天才数学者アラン・チューリング

(大好きなベネディクト・カンバーバッチ様が演じています。ベネ様がベネ。なんつって。)

敵国ドイツが使う「エニグマ」という暗号を解くために計算マシン、つまり今で言うコンピュータを開発するというお話。

 

今回スポットを当てたいのは、アラン・チューリングの葛藤です。

映画の中で、チューリングは「変わり者」として描かれます。

というのも彼はアスペルガー症候群傾向、さらには同性愛者という要素を持つからです。

filmarks.com

 

 

「変わっている」は素晴らしい?

何が「変わり者」で何が「普通」かはちょっと置いておいて…。

 

チューリングは幼少期から他の人と会話が上手くできません。

建前・冗談・暗喩などを理解するのが苦手です。

また、誰よりもめちゃくちゃに頭がよくて周りと合わない。

だから「自分より能力が無い周りと協力するなんて時間の無駄だ」と、どんどん一匹狼になっていきます。

 

物語の序盤では、自ら進んで一匹狼になっている印象を受けます。

そして、「普通がなんだ。変わっていることは素晴らしいじゃないか」という思いを抱いているように見えます。

 

さらに周りの「変わっていることへの肯定感」も描かれています。

キーラ・ナイトレイ演じるジョーンの台詞から、そのことが分かります。

ジョーンはチューリングの仕事仲間唯一の女性で、彼の良き理解者として寄り添います。

「普通じゃつまらない」

「違っていることは素晴らしい」

その姿勢は肯定的でありながら、「違い」への過度な羨望とも受け取れます。

 

とにかく、こんな感じで物語に

「変わっていることは素晴らしいんだよ~。個性だよ~。」

ってことを盛り込んではいるのですが、

この映画の面白いところは、そこで終わらない。

いや、終わってくれないところなんです。

 

「変わり者」が一番「普通」を望んでいる悲しさ。

※ここからネタバレ激しくしております!

 

 

 

 

 

チューリングはその頭の良さと人付き合いの苦手さを買われ、様々な国家機密に関わり、秘密を背負わされます。

そのため少しずつ増えていった人との交流を再び絶たざるを得なくなります。

 

時は流れて終戦後、チューリングは同性愛者ということが警察に知られ、「わいせつ罪」で逮捕。戦時中の英雄だったことは国家機密なので考慮されない。

(そもそも同性愛者で罪に問われるってトンデモナイ時代ですよね)

強制ホルモン治療を受けてかなり弱ります。

精神的にも、肉体的にも。

 

そして弱り切った最後に言うんです。

 

「独りになりたくない。独りはイヤだ」

「君は(僕と違って)普通の暮らしを手に入れたね」(筆者加筆)

 

(このときのベネ様の演技、本当に素晴らしいです。ディモールト・ベネです。個人的には「normal life(普通の暮らし)」の発音がめちゃくちゃ好みです。)

 

ここから私の考察です。

 

人と違うからこそ、偉業を成し遂げられたアラン・チューリング

彼は数学の天才だったわけですが、天才とならざるを得なかったのだと思います。

「違い」を肯定するための学問。

そして天才であるという「肯定的な違い」を作り出すさまは、

偉大でありながら、

 

「数学は人間と違って、僕に暴力的にならない。意思の疎通もできる。」

「数学とは普通に対話できるんだ。」

 

という「普通」交流の温かみを求め続ける寂しい少年の面影が残ります。

 

周りがどれだけ「君の『違い』は素晴らしいんだよ。個性だよ。」と言っても、

心の底では「普通」にとても憧れている。

 

こういった心理においては、どんな成果も偉業も能力も力を持ちません。

成果や能力で、欠けた「愛情」という部分は埋められません。

 

例えるなら、

パズルの空いたところに、あるべきピースではなくて違うピースを無理やりはめ込んでいるような…。

ガソリンを入れなきゃいけない車のために、サラダ油を入れたらちょっと動いたから、サラダ油をずっと注ぎ続けているような…。

そんな感じです。

 

この映画は悲しすぎますが、リアリティがある「違い」の描き方をしています。

特に「違い」を持つ本人の心理がリアルですね。

 

関連作品

 

この作品も同じような種類の物語ですが、これは本人の心理だけでなく、周囲の接し方や葛藤にもフォーカスが当てられています。そしてもうちょっと前向きかな。

こちらも天才数学者のお話。ジョン・ナッシュという人が主人公です。

ビューティフル・マインド』についてもいずれ感想記事を書きますね。

filmarks.com

 

 


 

海街diary』で有名な吉田秋生さんの漫画です。アニメ化もされましたね。(Amazon Prime Video)で見ることができます。

主人公アッシュは外見の美しさ・知性・肉体的な強さすべてを持っている【個性のかたまり】のような青年です。(若かりしレオナルド・ディカプリオ様みたいな感じ)

しかし、その恵まれた「違い」を彼は望んではいません。むしろ「普通」に憧れ、「自由」を求め続けるという切なさがあります。

「違い」を持つ者の「普通」への憧れ。

そして、決して「普通」になれないことへの切なさ。

そんなことがビシビシと伝わるすごい作品です。

繊細な心情描写のある少女漫画でありながら、ジャンルはクライムサスペンス!

シャーロック・ホームズとか好きな人は好きかもしれません。

ぜひ見てみてください!

bananafish.tv

 

 

 

まとめ:「違い」に孤独はつきもの。

「違い」には孤独がつきものです。

イミテーション・ゲーム』のアラン・チューリングも、『ビューティフル・マインド』のジョン・ナッシュも、そして『BANANA FISH』のアッシュも…。

「違う」ことへの納得感を得られるまで、その「違い」がどんなものであれ、孤独感はあるのでしょう。

長い時間をかけて、「違い」は個性へと昇華していきます。

それまでは、皆自分の「違い」と「普通」にコンプレックスを持ち、

他人の「違い」と「普通」に憧れ嫉妬することもあります。

 

何が「普通」で何が「違い」か…。それは人それぞれです。

だからこそ、他人の「違い」にも「普通」にも憧れるのは世の常で、「違い」と「普通」どっちがいいということはありません。

 

他人の「違い」にではなく「孤独感」に気付くことができれば、

人々はもっと気持ちのいい距離で寄り添いあえるのかもしれません。

 

「違い」を含めた自分のあり方への納得感を持つことができるように、

自分の人生を歩み、人に寄り添えたらいいなと思うタダノマシュウでした!

 

次回もお楽しみに!

毛は必要なのか、考えてみる。

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「毛って必要なのかな?」

私はときどき考える。

体のそこかしこに生えている体毛は、正直に言ってちょっぴり煩わしい。

 

無ければいいのに、と思うことも多々ある。

だけど、毛がすっかり体から無くなるのを想像すると、なんだか心もとない。

 

そうやって、ネットや電車の「脱毛サロン」の広告とにらめっこする。

 

毛フェチとかではない。

ただ、すっかりツルツルになった自分は、

「生えたいよ~」という毛の声を無視して完璧を目指しているようでちょっと怖い。

 

コンプレックス解消のために、ちょっとだけ脱毛をしてみたこともある。

確かに便利。美しい。

 

でも「すっかりツルツル!」には二の足を踏む。

 

「あるからには、たぶん何か意味があるんだと思います。

防寒とか、ばい菌から守るとか…。」

歯切れの悪い言い訳をして、結局また永久全身脱毛の勧誘を断った。

 

思えば、日々の暮らしには「毛」みたいな煩わしさがいっぱいだ。

自分の至らなさ、病気、人間関係の上手くいかなさ…。

 

それがすっかり無くなったらどうだろう?

面倒臭さはないが、やっぱり味気なく心もとない。

 

ほら、料理だって、えぐみとか渋味がおいしいと感じる瞬間があるし。

 

だから、私たち人間にとって「生きる」ということは、

「煩わしさ」と付き合うということなのかもしれない。

 

今日も私の腕には毛が生えている。

そろそろ剃らなくちゃなあ。

奇病ちゃんと学校

前回の奇病ちゃんは…?

様々な発作を引き起こす「奇病ちゃん」。

お医者さんにも分からない、本人にもどうしたらいいのか分からない!

心の病気?君は一体何なのさ!

 

そして下される、最初の診断!

さて、症状がコロコロ変わってしまうので、なかなか名前がつけられなかった奇病ちゃん。

でもそろそろ退院しなくてはなりません。

そこで下された最初の診断が「心因性振戦(しんいんせい・しんせん)」

でっ 出た~!「心因性」の3文字!

 「心因性」とは「心理的・精神的な原因」のことです。

平たく言えば、「精神的にストレスがかかって、体が震えチャウヨ~」ってことでした。

 

発症からその診断がつけられるまでの約1か月。入院していたので、もちろん学校は休んでいました。久しぶりの登校。小学校に入学したときみたいに、ドキドキしたのを覚えています。

勉強も、部活も、イベントも、そこから再スタート!

ということで、病気になってからの学校生活についてご紹介します。

今回は「高校編!」

高校時代

勉強についていけなくなる

 私が通っていた学校はいわゆる進学校。1か月も休んだら、当然勉強にはついていけなくなります。そもそも、高校1年生の夏頃から急に勉強ができなくなっていました。「文字が滑って文章が読めない」「手足がムズムズして座っていられない」という症状が夏頃からあり、成績はすでに落ちていました。そこに追い打ちの入院。

 

 ヤ…ヤバいぞ。しかも私は大学受験生!

 

そして、私はゴリゴリの理系から、訳も分からず文系に転向しました。

学校の定期試験では初めての赤点獲得…。

当時は「しょうがないよね~」とヘラヘラしながら、悔しくて落ち込んだりしていました。

でもこの経験がなかったら、「勉強がすべてだ!!」という自分のままだったと思います。そう考えると、病気になっていない自分は想像がつかないし、病気がない自分を想像するとゾッとします。頭がよければ何でも許されるみたいな極端な優生思想になっていたんじゃないかと…ひいい…ゾッとする。

 

私も先生も手探りの学校生活

ガラッと状況が変わった私に、先生方は戸惑っていらっしゃいました。

もちろん戸惑いを表には出されませんでしたが、たぶんとても大変だったと思います。私立学校だったので特別支援の先生はいないし、アドバイザーもいないので、先生方は手探りで私に接するしかありませんでした。

 

私自身も自分の発作が出たらどうするかは手探りで、高校時代はこんな感じで学校生活を送っていました。

  • 授業中に突然苦しみ出して机に突っ伏す
  • ノートを取らない(発作が出て、手が使えない)
  • 授業中に大きい発作が出ると、保健室へ行く
  • テスト中に発作が出て、何も解けないまま提出する
  • 体育・遠足はドクターストップ

いやあ…もうちょっと自分も先生も楽なやり方あっただろう…と今は思いますが。

でも、突然自分の体の状況が変わると、人間って思った以上に動けなくなります。

 

「どうしろっていうんだ!なんで私がこんな目に!」

 

みたいな気持ちになっちゃうんですよね。

 

「どんなふうに工夫して暮らそうかな~☆」

 

なんて考えには及ばない。すぐにはね。

 

だから、自分の体や心がガラッと変わったときにアクセスできる情報源があったらいいなァと常々感じています。話が少し逸れますが、以前落合陽一さんがTwitterでこんなことをつぶやいていました。

 

 落合さんがおっしゃるとおり、人は「病気や障害」などの「今まで知らなかったこと」に出会うと、パニクります。でも、知っていけば大丈夫。大丈夫なんです。

今では、高校生の私は「配慮してもらう」ことを受け身で待っていたなと反省しています。「どう配慮してほしいか」「どんな症状なのか」自分の口から説明できたらよかったと思います。

 

友だちとの違いに戸惑う

 

みんなと同じような学校生活ができなくなった私は、一気に「マイノリティ」になったように思いました。「浮いている…」そんな感覚。

 私の通っていた高校は、私立でエスカレーター式の学校でした。

小学校からずっと特別支援学級はありません。

ですから、身体障害者が同じ空間にいるという状況が学校生活においてはゼロでした。

そもそも日本全体が「分離教育」(普通学級と特別支援学級を分ける教育)が主流ですし、私立ならなおさらです。

 

「発作が出ているところを、友だちに見られたらどうしよう」

「独りでトイレに行けなくて、恥ずかしい(もちろん「誰でもトイレ・身障害者用トイレ」はない)」

「みんなと同じように、塾へ通えない(歩けなくなる)」

 

毎日の学校生活で、いちいち友だちとの違いに落ち込んでいました。

 

学校へ通うのがめちゃくちゃ大変

奇病ちゃんと出会ってから、一番苦労しているのが「移動の不自由」

毎日約1時間、発作が出ても満員電車に乗らなきゃいけないのは、なかなかしんどかった…。杖を使っても、気付かれずに倒されてしまったり、乗り換え駅で動けなくなったり… よく毎日通ったなあと思います。

今はヘルプマークが段々認知されてきて、発作が出ているときは優先席に座るのも気後れしないようになりました。

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ヘルプマーク

駅などでもらえます。詳しくはこちら▼

http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/shougai/shougai_shisaku/helpmark.html

 

そんなにたくさん他県に行ったことがあるわけではないですが、東京の地下鉄の駅で倒れたときの絶望感はすごいですね。

あの地下通路の圧迫感とすれ違う人すれ違う人みんな急いでいる状況…。

「もうおしまいや~泣」

みたいによくなりました。(実際は声をかけていただいたり、絶望ではなかった!)

 

楽しかったけど、めっちゃしんどかった高校時代

主にしんどいエピソードばかりになってしまいましたが、イベントや友だちとの関わりなど、楽しい思い出もたくさんあります。先生にかけていただいた言葉で、今もずっと大切にしているものもあります。

でも、やっぱりめちゃくちゃしんどかったです。学校に行きたいのに、行けない。勉強したいのに、できない。遊びたいのに、遊べない。ちゃんとしたいのに、できない。

「ない」もの尽くしでしたが、「ない」がたくさんあったからこそ、本当に欲しいものを取捨選択することを学べたのかもしれません。

 

ま、こんなのは後日談。今だから言えること!

 

次回は「どう乗り切る?大学受験編」

奇病ちゃんは仲間を連れてやって来る

こんにちは。タダノマシュウです。

前回の奇病ちゃんは…

高校1年生のマシュウの元へ、突然やってきた奇病ちゃん。

救急車で運ばれるものの、原因は分からず、体は震えっぱなし。

とりあえず大きな病院で1か月検査入院することになったマシュウだったが…?

 

奇病ちゃんの困ったところとして、まず挙げられるのが

「仲間を大量に、しかも定期的にメンバーを変えてやってくる」

というところです。

つまり、発作の種類がひとつではなく、いくつも種類がある。

さらにその発作は、時間が経つと違うものになる。

ということです。

 

最初のほうは「振戦」という発作がメインでした。

ご高齢の方が、湯飲みを持とうとして、手がぷるぷる震えることがありますよね?

あれが「振戦」です。

まあとにかく手も足も震える震える。

しかし、これが不思議なことに、眠るとパタリと発作が消えるので、この頃の対処療法は、「発作がひどくなったら、睡眠薬を無理やり飲んで眠る」というものでした。

今考えると、ちょっと暴力的ですね…。

 

その後、「硬直」という仲間が増えました。

文字通り、腕や足が固まってしまうというものでした。

 

さらに「脱力」という仲間もいました。

多かったのは膝から下がカクンと崩れてしまう脱力でした。

 

「振戦」「硬直」「脱力」が奇病ちゃんの初期メンバーです。

 

今考えると、これらの発作の前に、なんとなく「腕がムズムズしていてもたってもいられない」という症状もありましたが、奇病ちゃんの発作のひとつだったのかもしれません。

 

どうして、このように発作がコロコロ変わることが困るのかというと、

・お医者さんが診断をつけられない

・当事者はいつまでも発作に慣れない

このような理由があります。

発作がこんなにも流動的だと、診察の度に発作の種類が変わってしまって、病名が見分けられません。そのため「心の病」「詐病」「自分で演技しているのでは?」と心ない言葉を掛けられる「ワクチン副反応の患者さん」はたくさんいます。

私も「心の病」「病気じゃない」と何度も言われたことがあります。

仮に「心の病」なら、適切な精神科および心療内科的なアプローチをしていただけると助かるのですが、「気持ちの問題だよ~。気楽に生きな~。」と脳神経の先生に言われても、私は具体的にどうしていいのか分からなかったので、しんどかったです。

 

また、発作にいつまでも慣れないというのも、なかなかしんどいです。

例えば、私は「脱力」発作が出たとき、足を一定の角度に曲げると歩けることが分かりました。でも、「認知機能の低下」という新しい症状が出ると、そもそも「歩く」ということがどういうことなのか分からなくなってしまって、せっかく見つけた「工夫」がおじゃんになってしまったことがあります。

 

奇病ちゃんがいつまでもメンバー編成をコロコロ変えるので、私自身もいつまでも治療が振り出しに戻ってしまいます。

前に進みたくても、「治療に専念」みたいな状況が定期的に訪れるので、就職とか結婚とか出産とか…「出来るのかな」という不安でいっぱいになることもあります。

 

つまり、ライフプランがめちゃくちゃ建てにくいんです。

 

「もう良くなったの?」「今元気そうだけど、まだ体調良くないの?」「いつからフルタイムで働ける?」「本当に仕事に責任を持てますか?」「いつになったら自立するの?」と言われると「ううむ… すみません、分からないんですよ。うちの奇病ちゃん、気まぐれなもので…。」と内心ぐぬぬと困ってしまいます。

(高校生のとき、英会話の先生に拙い英語で「My body is moody.(私の体は気まぐれです)」と言ったこともありますが、あれ伝わってたのかな笑)

 

ただ、やっぱり8年もこんな感じで困っていると、さすがに困ることに飽きてくるんですよね。「治すとか治さないとか面倒くさいナァ」「まあしょうがないかあ」みたいな。

そうなると

「もう治らないなら、好きなように生きなきゃもったいなくない?え、治るの待ってたら、人生あっという間に終わるわよ?人生1度きりだし、楽しみたくない?」

とブル●ンちえみさんみたいな気持ちになります。

今後ももしかすると、発作が変わるかもしれません。でも、楽しく生きるためには、そんな体に困ることよりも「誰かに伝え続ける」ことが大切だと思っています。

具体的には、一緒に仕事をする方と接するときは、こんなことを気をつけています。

  • できるだけ詳細に、自分の体のことを話す
  • 体の症状によって、どんな障害があるのか説明する

(例えば、直接お会いする約束をする際に「突然歩けなくなって、約束場所までたどり着けない時があるので、念のためビデオ会議の環境を整えていただくことは可能でしょうか?」と言っておくなど。)

  • 発作が出たときは、どうしてほしいか伝えておく
  • 体が弱くても、出来ること(自分の強み)をアピール

そして何よりも

仕事を休んでしまうことがある代わりに、

人一倍誠実に、一生懸命に。

ということを大切にしています。

 

大学や高校の授業なんかも、欠席が多くなる代わりにできるだけ一生懸命に講義に取り組むようにしていました。(中にはどうしてもやる気が出なかった科目も、もちろんあるけど…笑)

そうやって、自分にできることを精一杯やることは、「治す」ことよりも生きがいを自分に与えてくれると思っています。

こんな偉そうなことを言っていますが、8年経ってやっと思えたことです。

ちょっと変わった体だけど、何とかなるよ、きっと。大丈夫、大丈夫。

 

おっと、今日は奇病ちゃんは色んな症状を持ってるよ!ということを紹介したかったのに、ちょっとエモーショナルな記事になってしまった!

次回は、もっと日常っぽい記事にしようかなあ。

ワクチン副反応の患者さんにも、そうでない人にも楽しんでいただければ幸いです。

次回もお楽しみに!

奇病ちゃんがやってくる

子宮頸がんワクチンの副反応が初めて出たのは、高校1年生の秋でした。

ワクチン接種からは約半年が経っていました。

 

犬の散歩をしようと準備をしていた私は、突然誰からか「ヒザかっくん」をされたように、崩れ落ちました。

腕を使っても、何をしても立ち上がれなくなりました。

そんな私を見て、飼い犬のリベラが今までにないほどソワソワしていました。

 

初めての経験でパニック状態になった我が家。

過呼吸でボーっとしていた私は「あ、死ぬのかな」と思ったりしました。

 

いや、全然死にませんでした。

 

救急車で病院へ運ばれて、ポ○リスエットのような効能を持つ点滴を打って、異常なしということで家へ返されました。

 

でも、ずっと手足が勝手に震えるんですよね。

もう西野カナさんもビックリなくらい震えてました。

 

それで結局、大きな病院で1か月くらい検査入院しました。

 

ああ、さらば文化祭…。遠足…。受験勉強…。

 

勉強ばかりしていた子供だったので、当時は受験競争に置いていかれることをひたすらに恐れていました。

撃ち込んでいたものから、離れなくてはならないのは、自分を価値づけるものが失われるようで、とても怖かったです。

 

入院した病室の年下の子供たちの世話を、やけに焼きたがったのは、何かしら自分を価値づける役割がないと不安だったからかもしれません。

 

私の元にやってきて早々、悩みの種を蒔いていった奇病ちゃん。まだまだこれから私の心を荒らしてくれます。

でも、荒れ放題の畑も時間をかけて新しい畑に生まれ変わっていきます。

しばらくは荒くれ奇病ちゃんのエピソードが続きますが、ご安心を!

 

次回、「奇病ちゃんは仲間を連れてやってくる」

タダノマシュウについて

このブログの管理人「タダノマシュウ」です。

この記事では、私について簡単にご紹介します。

 

 

1.奇病ちゃんについて

奇病ちゃんは、私の病気です。

高校1年生から付きあってきた「子宮頸がんワクチン副反応」のことです。

原因が本当に子宮頸がんワクチンなのか…。心の病ではないのか…。責任の所在は?など色々とメディアをにぎわせているこの病気。

実際のところは分かりませんが、同じ病に苦しんでいる方のためのデーテベースとして、ひとまず「子宮頸がんワクチン被害者」ということで、このブログは書きます。

(被害者って言葉はあんまり好きじゃないんですがね…。)

 

また、奇病ちゃんはやっかいなやつで、「副反応」だけでなく、闘病を原因とする「うつ病」まで引き連れてきました…。「アダルトチルドレン」「うつ病」「不随意運動」「記憶障害」「聴覚過敏」などネタがありすぎるので、ちょっと面白くコラムにしてみようと思っています。

 

2.フリーランスという働き方について

私は、高校生のときに奇病ちゃんがやってきてから、「働き方」について考えつづけてきました。(といえば聞こえがいいが、企業で働くの無理じゃない?と思っていただけ)

結局たどり着いたのは「フリーランス」という働き方でした。

現在は字幕・音声ガイド制作やライティングをメイン業務としています。

 

とはいえ、まだ駆け出しですので、その葛藤なんかも含めて書いていきたいなと思います。

 

3.「バリアフリー工房メノン」について

フリーランスとして働くにあたって、サービス名を「バリアフリー工房メノン」としました。【「違い」を身近に】をモットーに、「困りごと」解決の何でも屋さん的なサービスです。まだまだ運営も初心者ですが…。

 

詳しくは公式HPをご覧ください!

koubou-menon.com