しろくまのまわり道

病気との暮らし。子宮頸がんワクチン副反応、身体表現性障害。

奇病ちゃんと学校

前回の奇病ちゃんは…?

様々な発作を引き起こす「奇病ちゃん」。

お医者さんにも分からない、本人にもどうしたらいいのか分からない!

心の病気?君は一体何なのさ!

 

そして下される、最初の診断!

さて、症状がコロコロ変わってしまうので、なかなか名前がつけられなかった奇病ちゃん。

でもそろそろ退院しなくてはなりません。

そこで下された最初の診断が「心因性振戦(しんいんせい・しんせん)」

でっ 出た~!「心因性」の3文字!

 「心因性」とは「心理的・精神的な原因」のことです。

平たく言えば、「精神的にストレスがかかって、体が震えチャウヨ~」ってことでした。

 

発症からその診断がつけられるまでの約1か月。入院していたので、もちろん学校は休んでいました。久しぶりの登校。小学校に入学したときみたいに、ドキドキしたのを覚えています。

勉強も、部活も、イベントも、そこから再スタート!

ということで、病気になってからの学校生活についてご紹介します。

今回は「高校編!」

高校時代

勉強についていけなくなる

 私が通っていた学校はいわゆる進学校。1か月も休んだら、当然勉強にはついていけなくなります。そもそも、高校1年生の夏頃から急に勉強ができなくなっていました。「文字が滑って文章が読めない」「手足がムズムズして座っていられない」という症状が夏頃からあり、成績はすでに落ちていました。そこに追い打ちの入院。

 

 ヤ…ヤバいぞ。しかも私は大学受験生!

 

そして、私はゴリゴリの理系から、訳も分からず文系に転向しました。

学校の定期試験では初めての赤点獲得…。

当時は「しょうがないよね~」とヘラヘラしながら、悔しくて落ち込んだりしていました。

でもこの経験がなかったら、「勉強がすべてだ!!」という自分のままだったと思います。そう考えると、病気になっていない自分は想像がつかないし、病気がない自分を想像するとゾッとします。頭がよければ何でも許されるみたいな極端な優生思想になっていたんじゃないかと…ひいい…ゾッとする。

 

私も先生も手探りの学校生活

ガラッと状況が変わった私に、先生方は戸惑っていらっしゃいました。

もちろん戸惑いを表には出されませんでしたが、たぶんとても大変だったと思います。私立学校だったので特別支援の先生はいないし、アドバイザーもいないので、先生方は手探りで私に接するしかありませんでした。

 

私自身も自分の発作が出たらどうするかは手探りで、高校時代はこんな感じで学校生活を送っていました。

  • 授業中に突然苦しみ出して机に突っ伏す
  • ノートを取らない(発作が出て、手が使えない)
  • 授業中に大きい発作が出ると、保健室へ行く
  • テスト中に発作が出て、何も解けないまま提出する
  • 体育・遠足はドクターストップ

いやあ…もうちょっと自分も先生も楽なやり方あっただろう…と今は思いますが。

でも、突然自分の体の状況が変わると、人間って思った以上に動けなくなります。

 

「どうしろっていうんだ!なんで私がこんな目に!」

 

みたいな気持ちになっちゃうんですよね。

 

「どんなふうに工夫して暮らそうかな~☆」

 

なんて考えには及ばない。すぐにはね。

 

だから、自分の体や心がガラッと変わったときにアクセスできる情報源があったらいいなァと常々感じています。話が少し逸れますが、以前落合陽一さんがTwitterでこんなことをつぶやいていました。

 

 落合さんがおっしゃるとおり、人は「病気や障害」などの「今まで知らなかったこと」に出会うと、パニクります。でも、知っていけば大丈夫。大丈夫なんです。

今では、高校生の私は「配慮してもらう」ことを受け身で待っていたなと反省しています。「どう配慮してほしいか」「どんな症状なのか」自分の口から説明できたらよかったと思います。

 

友だちとの違いに戸惑う

 

みんなと同じような学校生活ができなくなった私は、一気に「マイノリティ」になったように思いました。「浮いている…」そんな感覚。

 私の通っていた高校は、私立でエスカレーター式の学校でした。

小学校からずっと特別支援学級はありません。

ですから、身体障害者が同じ空間にいるという状況が学校生活においてはゼロでした。

そもそも日本全体が「分離教育」(普通学級と特別支援学級を分ける教育)が主流ですし、私立ならなおさらです。

 

「発作が出ているところを、友だちに見られたらどうしよう」

「独りでトイレに行けなくて、恥ずかしい(もちろん「誰でもトイレ・身障害者用トイレ」はない)」

「みんなと同じように、塾へ通えない(歩けなくなる)」

 

毎日の学校生活で、いちいち友だちとの違いに落ち込んでいました。

 

学校へ通うのがめちゃくちゃ大変

奇病ちゃんと出会ってから、一番苦労しているのが「移動の不自由」

毎日約1時間、発作が出ても満員電車に乗らなきゃいけないのは、なかなかしんどかった…。杖を使っても、気付かれずに倒されてしまったり、乗り換え駅で動けなくなったり… よく毎日通ったなあと思います。

今はヘルプマークが段々認知されてきて、発作が出ているときは優先席に座るのも気後れしないようになりました。

f:id:koubou-menon:20190418154048j:plain

ヘルプマーク

駅などでもらえます。詳しくはこちら▼

http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/shougai/shougai_shisaku/helpmark.html

 

そんなにたくさん他県に行ったことがあるわけではないですが、東京の地下鉄の駅で倒れたときの絶望感はすごいですね。

あの地下通路の圧迫感とすれ違う人すれ違う人みんな急いでいる状況…。

「もうおしまいや~泣」

みたいによくなりました。(実際は声をかけていただいたり、絶望ではなかった!)

 

楽しかったけど、めっちゃしんどかった高校時代

主にしんどいエピソードばかりになってしまいましたが、イベントや友だちとの関わりなど、楽しい思い出もたくさんあります。先生にかけていただいた言葉で、今もずっと大切にしているものもあります。

でも、やっぱりめちゃくちゃしんどかったです。学校に行きたいのに、行けない。勉強したいのに、できない。遊びたいのに、遊べない。ちゃんとしたいのに、できない。

「ない」もの尽くしでしたが、「ない」がたくさんあったからこそ、本当に欲しいものを取捨選択することを学べたのかもしれません。

 

ま、こんなのは後日談。今だから言えること!

 

次回は「どう乗り切る?大学受験編」