しろくまのまわり道

病気との暮らし。子宮頸がんワクチン副反応、身体表現性障害。

毛は必要なのか、考えてみる。

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「毛って必要なのかな?」

私はときどき考える。

体のそこかしこに生えている体毛は、正直に言ってちょっぴり煩わしい。

 

無ければいいのに、と思うことも多々ある。

だけど、毛がすっかり体から無くなるのを想像すると、なんだか心もとない。

 

そうやって、ネットや電車の「脱毛サロン」の広告とにらめっこする。

 

毛フェチとかではない。

ただ、すっかりツルツルになった自分は、

「生えたいよ~」という毛の声を無視して完璧を目指しているようでちょっと怖い。

 

コンプレックス解消のために、ちょっとだけ脱毛をしてみたこともある。

確かに便利。美しい。

 

でも「すっかりツルツル!」には二の足を踏む。

 

「あるからには、たぶん何か意味があるんだと思います。

防寒とか、ばい菌から守るとか…。」

歯切れの悪い言い訳をして、結局また永久全身脱毛の勧誘を断った。

 

思えば、日々の暮らしには「毛」みたいな煩わしさがいっぱいだ。

自分の至らなさ、病気、人間関係の上手くいかなさ…。

 

それがすっかり無くなったらどうだろう?

面倒臭さはないが、やっぱり味気なく心もとない。

 

ほら、料理だって、えぐみとか渋味がおいしいと感じる瞬間があるし。

 

だから、私たち人間にとって「生きる」ということは、

「煩わしさ」と付き合うということなのかもしれない。

 

今日も私の腕には毛が生えている。

そろそろ剃らなくちゃなあ。