「普通」への憧れ~映画『イミテーション・ゲーム』に思うこと~
こんばんは!
酔えない、痩せられない、眠れないの三重苦でお悩みのタダノマシュウだよ!
今回は映画『イミテーション・ゲーム』についてです。
壮大なネタバレをしているので、ご注意を!
『イミテーション・ゲーム』ってどんな映画?
舞台は第2次世界大戦時のイギリス。ヒトラー率いるドイツと交戦真っ只中でした。
そこに登場する天才数学者アラン・チューリング。
(大好きなベネディクト・カンバーバッチ様が演じています。ベネ様がベネ。なんつって。)
敵国ドイツが使う「エニグマ」という暗号を解くために計算マシン、つまり今で言うコンピュータを開発するというお話。
今回スポットを当てたいのは、アラン・チューリングの葛藤です。
映画の中で、チューリングは「変わり者」として描かれます。
というのも彼はアスペルガー症候群傾向、さらには同性愛者という要素を持つからです。
「変わっている」は素晴らしい?
何が「変わり者」で何が「普通」かはちょっと置いておいて…。
チューリングは幼少期から他の人と会話が上手くできません。
建前・冗談・暗喩などを理解するのが苦手です。
また、誰よりもめちゃくちゃに頭がよくて周りと合わない。
だから「自分より能力が無い周りと協力するなんて時間の無駄だ」と、どんどん一匹狼になっていきます。
物語の序盤では、自ら進んで一匹狼になっている印象を受けます。
そして、「普通がなんだ。変わっていることは素晴らしいじゃないか」という思いを抱いているように見えます。
さらに周りの「変わっていることへの肯定感」も描かれています。
キーラ・ナイトレイ演じるジョーンの台詞から、そのことが分かります。
ジョーンはチューリングの仕事仲間唯一の女性で、彼の良き理解者として寄り添います。
「普通じゃつまらない」
「違っていることは素晴らしい」
その姿勢は肯定的でありながら、「違い」への過度な羨望とも受け取れます。
とにかく、こんな感じで物語に
「変わっていることは素晴らしいんだよ~。個性だよ~。」
ってことを盛り込んではいるのですが、
この映画の面白いところは、そこで終わらない。
いや、終わってくれないところなんです。
「変わり者」が一番「普通」を望んでいる悲しさ。
※ここからネタバレ激しくしております!
チューリングはその頭の良さと人付き合いの苦手さを買われ、様々な国家機密に関わり、秘密を背負わされます。
そのため少しずつ増えていった人との交流を再び絶たざるを得なくなります。
時は流れて終戦後、チューリングは同性愛者ということが警察に知られ、「わいせつ罪」で逮捕。戦時中の英雄だったことは国家機密なので考慮されない。
(そもそも同性愛者で罪に問われるってトンデモナイ時代ですよね)
強制ホルモン治療を受けてかなり弱ります。
精神的にも、肉体的にも。
そして弱り切った最後に言うんです。
「独りになりたくない。独りはイヤだ」
「君は(僕と違って)普通の暮らしを手に入れたね」(筆者加筆)
(このときのベネ様の演技、本当に素晴らしいです。ディモールト・ベネです。個人的には「normal life(普通の暮らし)」の発音がめちゃくちゃ好みです。)
ここから私の考察です。
人と違うからこそ、偉業を成し遂げられたアラン・チューリング。
彼は数学の天才だったわけですが、天才とならざるを得なかったのだと思います。
「違い」を肯定するための学問。
そして天才であるという「肯定的な違い」を作り出すさまは、
偉大でありながら、
「数学は人間と違って、僕に暴力的にならない。意思の疎通もできる。」
「数学とは普通に対話できるんだ。」
という「普通」や交流の温かみを求め続ける寂しい少年の面影が残ります。
周りがどれだけ「君の『違い』は素晴らしいんだよ。個性だよ。」と言っても、
心の底では「普通」にとても憧れている。
こういった心理においては、どんな成果も偉業も能力も力を持ちません。
成果や能力で、欠けた「愛情」という部分は埋められません。
例えるなら、
パズルの空いたところに、あるべきピースではなくて違うピースを無理やりはめ込んでいるような…。
ガソリンを入れなきゃいけない車のために、サラダ油を入れたらちょっと動いたから、サラダ油をずっと注ぎ続けているような…。
そんな感じです。
この映画は悲しすぎますが、リアリティがある「違い」の描き方をしています。
特に「違い」を持つ本人の心理がリアルですね。
関連作品
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映画『ビューティフル・マインド』
この作品も同じような種類の物語ですが、これは本人の心理だけでなく、周囲の接し方や葛藤にもフォーカスが当てられています。そしてもうちょっと前向きかな。
こちらも天才数学者のお話。ジョン・ナッシュという人が主人公です。
『ビューティフル・マインド』についてもいずれ感想記事を書きますね。
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漫画・アニメ『BANANA FISH』
『海街diary』で有名な吉田秋生さんの漫画です。アニメ化もされましたね。(Amazon Prime Video)で見ることができます。
主人公アッシュは外見の美しさ・知性・肉体的な強さすべてを持っている【個性のかたまり】のような青年です。(若かりしレオナルド・ディカプリオ様みたいな感じ)
しかし、その恵まれた「違い」を彼は望んではいません。むしろ「普通」に憧れ、「自由」を求め続けるという切なさがあります。
「違い」を持つ者の「普通」への憧れ。
そして、決して「普通」になれないことへの切なさ。
そんなことがビシビシと伝わるすごい作品です。
繊細な心情描写のある少女漫画でありながら、ジャンルはクライムサスペンス!
シャーロック・ホームズとか好きな人は好きかもしれません。
ぜひ見てみてください!
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まとめ:「違い」に孤独はつきもの。
「違い」には孤独がつきものです。
『イミテーション・ゲーム』のアラン・チューリングも、『ビューティフル・マインド』のジョン・ナッシュも、そして『BANANA FISH』のアッシュも…。
「違う」ことへの納得感を得られるまで、その「違い」がどんなものであれ、孤独感はあるのでしょう。
長い時間をかけて、「違い」は個性へと昇華していきます。
それまでは、皆自分の「違い」と「普通」にコンプレックスを持ち、
他人の「違い」と「普通」に憧れ嫉妬することもあります。
何が「普通」で何が「違い」か…。それは人それぞれです。
だからこそ、他人の「違い」にも「普通」にも憧れるのは世の常で、「違い」と「普通」どっちがいいということはありません。
他人の「違い」にではなく「孤独感」に気付くことができれば、
人々はもっと気持ちのいい距離で寄り添いあえるのかもしれません。
「違い」を含めた自分のあり方への納得感を持つことができるように、
自分の人生を歩み、人に寄り添えたらいいなと思うタダノマシュウでした!
次回もお楽しみに!